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伊藤 剛(いとう たけし、1976年12月17日 - )は、神奈川県相模原市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、54ページ〕出身の元プロ野球選手(投手)。2013年より北海道日本ハムファイターズの二軍総合コーチ。 == 来歴・人物 == 中学時代はボーイズリーグの相模原ホワイトイーグルスに所属しその後、山梨県の日大明誠高校から社会人野球のNTT関東に進み、1998年のドラフト会議にて、阿久根鋼吉・立石尚行らとともに日本ハムファイターズ(当時)に6位で指名され入団〔。ドラフト下位入団だが球威の良さは早くから注目されていた。 1年目の、速球を武器に中継ぎ中心の17試合に登板〔。3勝1敗1セーブ、防御率2.38とまずまずの成績を残し期待されたが、からまでは一軍での登板はあるが結果を残せなかった。2002年に自身の背番号を二軍で師匠と慕っていた新谷博が前年まで着けていた背番号60に変更した。 は開幕当初は抑えの予定だった建山義紀・伊達昌司がシーズン前に故障離脱、中継ぎで好投したこともありストッパーに起用される。打たれながらも抑える投球で存在感を示したが、その後右ひじの故障によりシーズン序盤でリタイア。一度つかみかけたチャンスを失ってしまい、は登板が無かった。 9月9日にはダルビッシュ有の後を受けて1イニングをパーフェクトに抑え復帰。試合数は少ないものの僅差の試合を任された。は11試合に登板するも、防御率6.60と結果を残せなかった。 10月9日、現役引退を表明。翌10月10日には「引退登板」としてシーズン初登板し、小坂誠から三振を奪って現役生活にピリオドを打った。 からは、球団職員として球団に残る。より、二軍総合コーチに就任する事が発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤剛 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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